この話は祖父から聞いたはずですが、或いは父から野良で聞いたのかもしれません。私が小学校に上がる前の頃に聞いた話なので、そのあたりの記憶がちょっぴり曖昧です。
私が生まれるかなり前、拙宅は大きな農家ではありませんでしたが、祖父が都内で役所勤めをしていたため、農作業に人手が足りず、住み込みで働く助っ人を雇わなければなりませんでした。
ある日、祖父が一人の男(男の子?)を連れてきました(彼をどのようにして見つけてきたのか、だれか紹介者がいたのか、聞き漏らしました)。名を喜久治(仮名)と言います。本人は16歳と言うのですが、その小さく貧相な身体と幼い風貌は、どう見ても「小学校高学年」程度のものだったそうです(当時、北総の農村地帯の多くは貧しく、食い扶持を減らすために、長男以外の子供を養子や働きにだすことがありました)。祖父は、彼を何日か家に置いてみることにしました。当時の農作業は今よりも重労働でしたが、喜久治はその貧相な身体に鞭打つように、本当に一所懸命に働くので、祖父は痛々しくて見ていられなかったそうです。結局、喜久治が拙宅に来てからしばらくした後、祖父は喜久治を彼の実家に戻すことにしました。祖父が喜久治を呼びに行くと、その時、彼は風呂の排水溝を一所懸命雑巾で穿り掃除していたそうです。祖父が、「お前は百姓をするにはやっぱり小さ過ぎる。うちの仕事は無理だから、お前にはこれから帰ってもらうことにした。」と言うと、喜久治は、「これからは、もっと一所懸命働くから、一生のお願いだからここに置いてください。」と泣いて懇願したそうです。彼がどうしてそれほど家に帰りたくなかったのか、当時の私にはとても不思議だったので、祖父に尋ねると、「喜久治の家も農家だけど、大家族だから家に帰っても食べるものがないんだ。でも、ここに居れば粗末であっても飯だけは食えるからだ。」と、話してくれました。
私は、結局彼を家に帰してしまった祖父に対し、何て人情味のない冷たいことをするんだろう!と思いながら尋ねました、「泣いてそこまでお願いしているなら、なぜ置いてやらなかったの?」。祖父は、彼があまりに幼すぎて、仕事をさせるのが痛々しくて見ていられなかったのだといいました。しかし、私はまだ疑問を持っていました。「泣いて、ここに置いてくださいと言っているなら、働かせないでここから学校に行かせば良かったんじゃないの?」祖父に言いました。しかし、当時の多くの家がそうであったように、拙宅も食うに精一杯で、物質的にも精神的にも他人を養う余裕などなかったのです。
喜久治はその後どうしたのか、それから喜久治とは会ったのか、祖父に尋ねてみることにしました。祖父は、それ以降、彼に会うことはなかったが、別の農家か商屋を見つけて住み込みで働きに出たのではないか、また、無理に家に帰ってもらったので、残念ながら喜久はうちにいい印象は持っていないのではないかと、言います。この話に、私は子供ながらも何となく後味の悪さを感じ、それっきり祖父と喜久治の話をすることをやめてしまいました。
その後、私は単車や自動車を運転するようになってから、ときどき喜久治さんのムラを通ります。その時に、面識さえないのに、喜久治さんは今頃どうしているだろうか、と想像を巡らしますが、彼は長男ではありませんので、このムラに住んでいることはないでしょう。米寿前の彼は、どこか他の地で家族を持って、孫たちと一緒に楽しく暮らしているのだと思います。強烈に働き者で、小さい頃から生きることに全力だった喜久治さんは、戦後の高度成長期を背景に、かなり高い確率で経済的に大きな成功を収めているのではないか、と勝手に想像しています。
願わくば「祖父を恨まないでいて欲しい」と思いながら、ときどき、「少しだけ拙宅にいてくれた農家の助っ人、喜久治さん」の名前を思い出します。
krause
敗戦直後、わが家にも泊まりこみで農作業をする人がいました。
父は身体が丈夫でなく、兄はまだ若かったので働く人が必要だったようです。
by 斗夢 (2012-02-14 17:49)
小柄で体力に恵まれなかったので、
実家でも居心地が悪かったのでしょうか。
心に残るお話しです。
by manamana (2012-02-15 06:34)
良いお話しをお聞かせいただきました。
ボーイスカウトの子供たちに是非話してやりたいと思います。
つい最近まで、日本にもそんな時代のあった事を!
そして衣食住に困らない幸せを!
by 駅員3 (2012-02-15 14:10)
昔は、そういう話があったのでしょうね。今は、不況とは言え、そこまで、困っている人は、いないでしょうね。喜久治さんが、どうなったのか、知りたい気もしますね。意外と、農業ではなく、別の仕事で、大成功をしているかもしれませんね。
by テリー (2012-02-15 22:56)
つい、40年前ぐらいのことですよね。私の子供の頃にも10代の若い女性のお手伝いさんが居て、色々お世話してくれていました。それだけ、人件費が安い時代ですよね。随分時代が変わりました。
by ぽりぽり (2012-02-15 23:11)
時期的にはどのくらいなのでしょうか。昭和初期、そのくらいですか?
いま、大正末期〜昭和初期のことがちょっと気になっています。
私の実家でも、いろいろあったようです。昔は婚姻関係も労働関係も、いろいろと今とは違う状況だったのですよね。
by おじゃまま (2012-02-16 00:12)
昔の農家や一般市民は貧しい暮らしだったので
夫々の家でもいろんなエピソードがあるでしょうね。
by 旅爺さん (2012-02-16 06:06)
こちらには今もナニーという子供のお世話をする若い女性を雇うことが割と普通にありますし(外国人の女性のことが多いです)、お掃除は掃除婦さんに頼んでいる家は相当多いです。でも、それをドイツ人がしている例は無いでしょうね。
by めぎ (2012-02-16 06:56)
切ない話です。
自立する能力のない子供のセ-フティ-ネットだけは確かな社会にしたいものです。15に満たない子供に彼らの人生の責任は押し付けられません。
by 雀翁 (2012-02-16 12:35)
中学を卒業してすぐに働きに出た、父親の昔話を思い出しました。
なんか、こう、切ないですね。
by kgoto (2012-02-19 16:20)
地方の農家だと長男以外は他に働きに出なければいけない
時代だったんでしょうね。
krauseさんの御祖父さんも苦しい決断だったと思いますし
喜久治さんも大人になってから、その気持ちをわかってくれたと
思いたいです。。
by うつぼ (2012-02-19 17:19)
遠い昔の話のようですが、
おしなべて貧しさがアベレージだった時代、
実はそんなに古い時代ではないのですよね。
今からたった50年も遡れば、
その時代の名残はあちらこちらにありましたね。
こういう話を伺うと、自分の目が遠くを見つめるような
そんな感覚になります。
by e-g-g (2012-02-20 15:46)
きっと好好爺になられておらるると
私も思います。(*´∇`*)
by つなみ (2012-02-22 15:43)
うちの子供に直接聞かせたい話です。
たぶん、文章だけでは、想像できないでしょうから。
by どらっち (2012-02-28 18:42)